明治後期に木曽川うかいの再興をしたひと
愛知県犬山市の「木曽川うかい」は、江戸時代から行われていたが、犬山藩主の信条の理由からある一定期間中断していた。明治維新から四半世紀以上経過してた明治32年に木曽川うかいの再興を果たした人物は、鵜飼鎌次郎です。鵜飼を継続するためのヒト・モノ・カネの資源調達の難しさに直面しながらも、決してあきらめないで実現した人物、の物語を地元図書館の資料*から知ったので紹介しています。
- 再興ストーリー
鵜飼鎌次郎は、大工の子として生まれ、自分の苗字は先祖の代に鵜匠であったことに由来するというはなしを親から聞き、犬山で鵜飼を再開することを夢見る。18歳になった鎌次郎は、知り合いから「小瀬(岐阜県関市)では、犬山の鵜飼いが取りやめになったために、犬山藩の鵜匠たちが小瀬に移って始めたものらしい」ことを聞く。彼は、小瀬に行って見た鵜飼に魅せられてしまう。自ら資金と協力者を募り、1899年(明治32年)に念願が叶った。鵜飼復活の瞬間、犬山の鵜飼いを観た当時の見物人からは、「おおっ。」と声があがり拍手が起こったという。
- 明治32年に木曽川うかいが復活したときの見物人のコメント*
「すばしっこいなあ。ウとう鳥は・・・・・。」
「じゃが、せっかくくわえたアユをはき出させてしまうのは、気の毒な気もするなあ。」
「鵜匠もうまいもんじゃ。ウと綱が、ようからまらんのう。」
- 観光としての鵜飼いと採算
木曽川うかいは再興に漕ぎづけたものの、事業継続を実現するのに採算性には厳しいものがあったという。鎌次郎は、会社が赤字にならないようにアユを料理して見物客にふるまったり、魚商人に売ったりするなどのくふうをしたが、木曽川の鵜飼いは費用がかかるわりにはもうけが少なく、会社は二年でつぶれてしまった。その後、彼はどんなことがあってもその情熱から鵜飼いを続ける決心をしてやめることはなかった。木曽川の上流で大雨が降ると、川がにごり、うかいができなくなる。鵜飼いができた日の収入だけでは、鵜匠や船頭への給料やウの餌代にも足りないことがあったのだ。
彼が他界した後も、子供の代、孫の代が、ひきつづき犬山の地で鵜飼を続けた。そして、1964年(昭和39年)には、犬山市の市営の鵜飼いとなりました。
ときの権力者が保護する日本の鵜飼い
犬山の木曽川うかいのはなしにも、日本の鵜飼いの特長「ときの権力者が鵜飼を保護し、ときには、藩主が個人的な信条から手放し、また現代では地方自治体が支援するといったことが行われています。
元々、古代漁法であった「鵜飼い」に対するこのような保護の在り方は、海外の鵜飼いでは例がみられないと言われています。来週は、山梨県の笛吹市の徒歩鵜飼(かちうかい)に行きますので、日本全国に12か所に残る「鵜飼」が、どのような背景があって存続したのか、また、ビジネスとしての採算という視点でも、掘り下げていきます。
木曽川うかいはどこにあるの、料金は?
電車の場合 名鉄犬山線「名鉄犬山遊園駅」下車、東口から徒歩3分
自家用車の場合 小牧IC(名神高速)小牧北IC(名神高速)から11km国道41号線を北上し、カーナビでは、名鉄犬山遊園駅(TEL 0569-61-0217)を目標に。
所用時間 1時間15分
期間 毎年6月1日から10月15日
コース 昼鵜飼、夜鵜飼
料金 大人3,000円/小人1,500円(4歳以上~小学生)※食事代含まず、3歳以下無料
事前予約制 前日の18時まで
リンク
木曽川鵜飼・遊覧 https://kisogawa-ukai.jp/
国宝犬山城 https://inuyama-castle.jp/
*出所 燃える かがり火 あいちの偉人② 12の話 愛知県PTA連絡協議会 公益財団法人 愛知県教育振興会
記事冒頭の写真 昭和30年の鵜飼い 出所 江南・犬山の今昔 郷土出版 2002年